せんろはつづくよどこまでも

今日までいろんな事を綴ってはやっぱり途中で打つのやめたり、書きあがっても送信しなかったり。ココ何年か、"死"という言葉に異常にナーヴァスになってるのは大いに自覚アリなんですがどうこうできるわけでもなく、ただバカのふりして(まぁ実際バカなんすけど)面白おかしく立ち回る毎日。

誤解を招きそうな言いっぷりになってしまいますが、ダレルが殺られたってのはそれ自体社会の一現象だって割り切れる思いは初っ端からあったのです。それを追っかける思索が自分を苦しめるのです。
身内や仲間の葬式の時も心の片隅で「まぁこういうこともあるさ」って思いがあった事に僕は気づいているのです。大切な人の最期に100%の気持ちで向き合うことができないくだらない人間なんです。どうせなら涙も流さないで口笛でも吹いてる非情な人間でいた方が他人もそう見てくれるから良いかも知れません。

なんか自分が壊れていくような気がしてしょうがないです。考えることができる時間というのはクスリより持っては危ないのかもしれません。